わたしたちの歴史の一部をご紹介します。
わたしたちの歴史の一部をご紹介します。
~70’s
ミナミサワの歴史は「人々の暮らしを守る」ことからスタートしました。
1950年代後半から1970年代にかけての高度経済成長期。冬の寒さが厳しい長野県では、凍結による水道管の破裂が相次いでいました。そこで創業者である南澤敏夫は、持ち前のサービス精神と独創的なアイデアで、この問題を何とか解決できないものかと考えたのです。幸いなことに、南澤敏夫には多くの信頼できる仲間がいました。彼が「こんなものをつくりたい!」と持ち込むと、仲間たちはそれぞれが得意とする専門分野の知恵と技術を結集して、それに応えてくれたのです。同じ志を持って独立した彼らとともに「MS 式 不凍栓」は完成しました。ミナミサワが考える「こんなもの」とは、常に人の暮らしに向き合った、人助けとなる製品づくりでした。
こうして、長野県という地域の特性に根ざした水道の不凍栓やそれに関連する水道製品など、ミナミサワのものづくりが始まります。こうした、“世の中の困りごと”を解決しようとする精神、その課題にものづくりで挑戦する心意気は、きっと次の世代にも受け継がれていくことでしょう。そして、どんなに時代が変わっても、その信念は変わることがないと確信しています。
ミナミサワはこれからもずっと地域社会に根差して考え、未来を見据えて行動してまいります。
~90’s
水道事業は「人々の健康を守る」という使命のもと、社会基盤の一翼を担っています。
二代目社長に就任した南澤宏一は、初代が得意とした「人々の暮らしを守る創意工夫」の精神を受け継ぎ、より使いやすく、安心・安全な製品づくりに邁進し、設置や点検・修理が簡単な「一体型」であることに心をくだきます。製品を一体化することで、地中に埋設された部分を含め、すべてを一度に引き出すことができ、点検や修理が容易に行えます。また、複数のバルブを一つにまとめたシンプルな構造は故障が少なく、たとえ故障した場合でも簡単に修理ができたのです。そのため「南沢商会の不凍栓」は県内で大変な人気を呼びました。
部品が少なく故障しにくい製品、シンプルな構造で、簡単に修理できるもの。そして、製品の細部にわたってすべて自分自身が熟知していること。ミナミサワの製品づくりのベースとなる考え方は、この時代に培われました。その考え方と行動力が、衛生的な自動水栓の開発に向かうことになり、斬新な製品の数々を生み出すことにも繋がります。
しかし、住宅の構造も堅牢になった寒冷地では、技術の進歩とともに不凍栓の設置が自由化されることになりました。時代の変化に呼応する形で、ミナミサワは生き残りをかけて他の製品開発を模索することになります。
~00’s
1991年6月17日にイギリスのバーミンガムで開催されたIOC 総会で1998年冬季五輪の長野開催決定されました。その夜、テレビの前で新製品の図面づくりに取り組んでいた南澤宏一は、おもわずガッツポーズ。オリンピックの開催は「水栓の環境」を見直す大きなチャンスの到来でもありました。翌年、小便器用感知式フラッシュバルブ「フラッシュマン」を完成させます。
また、その頃「公共トイレの水洗化」が進みはじめます。不特定多数の人が出入りする公共のトイレには「手を触れない」「流し忘れがない」電子制御の自動水栓が設置されるようになります。「一体化したコンパクトでシンプルな電池式構造」という「フラッシュマン」は、低コストで自動化できる「後付け」の自動水栓を開発することが可能でした。
「フラッシュマン」は発売以来、「水回りを、より簡単、安価に自動化する」という全く新しい方式を確立させました。同時に、このニーズはトイレだけではないという確信に変わります。こうした背景から開発されたのが、自動水栓「Suisui」。センサー技術に特化した企業や、大手精密機器メーカー「エプソン」の技術開発部門など、長野という製造基盤の整った地の利を活かすことができたのは幸いでした。多くの企業のサポートを得て、2000年度のグッドデザイン賞を受賞します。
~20’s
水道の現場はトイレ周りに比べて特殊なケースが多く、設置できないところもあります。その都度、自ら現場に足を運び、施工業者さんの意見を聞きながら改良を続け、徐々に製品ラインナップを整えていきました。
少ない部品による「一体構造設計」は製品に長寿命をもたらし、既存の設備を活かす「後付け」は、環境への負荷を軽減することへ繋がっていきます。2015年9月25日には国連総会で「持続可能な開発目標(SDG’s)」が採択され、水道の現場でも環境への負担軽減やものづくりにおける生産背景への関心が加速度的に高まります。
こうしたタイミングに誕生したのが、壁埋め込み式センサー改装用「フラッシュマン リカバリー」です。これは廃番となった壁埋め込み式小便器センサーの設備をそのまま活かすことで、低コスト・短工期で復旧(リカバリー)できる製品です。「フラッシュマン リカバリー」は需要も大きく、ブランドを代表するシリーズへと成長します。
その結果、2019年には経済産業省より「はばたく中小企業・小規模事業者300 社」に選定され、翌年には長野県経営品質協議会より「長野県経営品質賞」を受賞。続けて経済産業省より「地域未来牽引企業」に選定されます。
現場目線の開発は、「後付け自動水栓」のミナミサワにとって最も重要な要素であり、ものづくりの基本になっています。
2020年に国内での感染が初めて確認された「新型コロナウイルス感染症(COVID-19)」は、わたしたちの暮らしに大きな影響を与えました。「人の健康と快適な暮らしを守る」という考えから生まれたミナミサワの製品は、病院や介護施設、食品関連施設や商業施設、ホテル、レストラン、学校、高速道路のパーキングエリアなど、多くの施設に広がっています。
こうした時代の大きな変化に対応するため、ミナミサワでは太陽電池によるカーボンフリーの生産体制を目指します。現在、長野県の生産工場では太陽光発電設備を設置しており、150枚の太陽光パネルによって年間約65,000kWhを発電しています。こうした取り組みが認められ、2021年には長野県より「長野県SDGs 推進企業」に認定されました。
2022年、新たな使命を受けて三代目の代表取締役に就任した南澤俊文は、「“感謝の気持ちが循環していくものづくり”を目指していきたい」と話します。
変化が多く、答えの見つけにくい時代だからこそ、相手を想い、みんなで力を合わせていく「感謝が循環するものづくり」。誰かの幸せが誰かの犠牲の上に成り立つのではなく、リスクも喜びも一緒に分かち合いながら、ゆっくりと一緒に発展していける社会を目指すことは、ものを作るブランドの使命ともいえます。
「人々の暮らしを守る」ことからスタートしたミナミサワの歴史は、その精神を受け継ぎながら未来へと向けて動き出します。
1955年 | 初代・南澤敏夫が個人で事業を創業 長野市本郷627 番地で不凍栓および水道部品の製造・販売を開始 |
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1958年 | 株式会社南沢商会を設立 |
1966年 | 社団法人 日本水道協会検査工場としての認可を得る |
1973年 | 業務拡張に伴い本社と工場を長野市三輪1 丁目6 番34 号に移転 |
1974年 | 南澤宏一、二代目社長に就任 不凍栓の量産体制を確立 |
1990年 | 小便器用自動洗浄器「フラッシュマン」を発売 |
1995年 | 業務拡張に伴い本社と工場を長野市中越1 丁目2 番22 号に移転 |
1997年 | 商号を株式会社ミナミサワに変更 |
1998年 | 不凍栓部門廃止 |
2000年 | 自動水栓「Sui Sui」を発売 |
2012年 | 企業理念やブランドのシンボルマークなどを刷新 |
2013年 | 汚物流し用自動洗浄器「フラッシュマン ノンタッチ」を発売 大便器用自動洗浄器「フラッシュマンFD シリーズ」を発売 壁埋め込み式小便器改装用「フラッシュマン RECOVERY 1」を発売 |
2014年 | 大便器用自動洗浄器「フラッシュマン ラムダ」を発売 |
2018年 | 壁埋め込み式小便器改装用「フラッシュマン RECOVERY 2」を発売 |
2019年 | 千葉(浦安)に関東営業所を開設 |
2020年 | 一体型小便器改装用「フラッシュマン RECOVERY 3」を発売 |
2021年 | 本社(長野)に第一配送センターを開設 |
2022年 | 大阪(箕面)に関西営業所を開設 太陽光発電による循環型ものづくりを開始 南澤俊文、三代目社長に就任 |
2000年 | 自動水栓「Sui Sui」グッドデザイン賞を受賞 |
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2013年 | 信州ブランドアワード2012「 特別賞」を受賞 |
2013年 | 汚物流し用自動洗浄器「フラッシュマン ノンタッチ」グッドデザイン賞を受賞 |
2014年 | 第8 回「キッズデザイン賞」を受賞 |
2018年 | 後付け式自動水栓シリーズが「NAGANO ものづくりエクセレンス」を受賞 |
2019年 | 経済産業省より「はばたく中小企業・小規模事業者300 社」に選定 |
2020年 | 長野県経営品質協議会より「長野県経営品質賞」を受賞 経済産業省より「地域未来牽引企業」に選定 |
2021年 | 長野県より「長野県SDGs 推進企業」に認定 |
2022年 | 南澤宏一会長、令和4 年秋の叙勲「旭日単光章」を受章 |